https://zenn.dev/chooyan/articles/916f7ecfed992627f9b1

 

 

最近この人の技術系の記事をよく読む。

わかりやすい。

上の記事に「事実」と「意見・解釈」をわけて話すって書いてあるんだけど、これは本当に大事だと思う。

事実は解釈に含まれるという前提があると思うけど、自分が普段話す時も事実と解釈切り分けたいなと思う。

事実と解釈がごちゃ混ぜな人は分析する能力が低そうに思える。

 

 

Twitter見てたら毒親ツイートが流れてきて共感した。

母は、娘であるわたしが、成長とともに「女」になることを断固拒否してたくせに、わたしがある程度大人になってきたら、手の平をくるりと返し、さも当然のように「女」であることを求めてきて、これには温厚なわたしも、は?なんだこいつ気持ちわりいなぶちコロ助、って気持ちになりましたね。

 

 

自分の父親も小さい頃から「男のくせに女の子と遊ぶのか?」みたいな感じで馬鹿にしてくるようなところあったのに、最近「孫の顔が見たいな」とか発言していて、「は?」って思ってしまった。

スマホを勝手に見てくるようなところもあったし、それがわかっていたから高校の頃も携帯持ってはいたけど、あまり他人と連絡取らないようにしていた。

その他いろいろ。

何回でも書くけど、小さい頃の価値観の基準は親だったりするし、その親を否定することって自分が今までしてきた行動も否定することになるから難しいなと思う。

毒親って表現するけど、そもそも親が欲しくて産まれてきた存在なわけだし、親を喜ばせるためにうまれてきた人が多いということは否定しづらいと思うし、それが当然だなと思うと、ずっともやもやしていたことが、親は元々クソみたいな認識になってすっきりした。

最近のことだけど。

だからって縛られる必要はないし、もう必要ないからさようならって距離感でいいと思う。

難しいんだろうけど執着せずに忘れてしまったほうがいい。

 

 

ネットで個人が発信できるのが簡単になるにつれて、華やかに見えるアカウントが増えたけど、そんなのじゃなくて飾らずに雑多なこと書くアカウントが好きだ。

 

一言でまとめると、「努力したからこうなれた」って書いているアカウントを見て、テンションが下がった。

自分ができたことを努力のおかげ、自分の力だけだと思っているような部分と、そうなること自体に価値があるという価値観の押し付けのような言葉にけっこうお気に入りがついていて、自分の感覚と違うものを肯定している人が多いように感じてしまって、こんな世界嫌だとテンションが下がる。

 

 

できることもできないことも環境運に左右されることは大きいだろうし、できてもできなくても気にすることじゃないなと思う。

自分の努力を過大評価できる理由あったら教えてもらいたい。

自信なんてない。